秋空
そういえば、ちかごろあいつは猫ばかりかまってやがる──。
歳三は、縁側に座っている男が総司だとわかり、しばし声を失った。
いつのまに総司の背中はこんなに薄くなってしまっていたのだろうか。もともと痩せていたのが、すっかり肉が削げ落ちている。
胸を、衝かれた。
剣神にあれほどまでに愛されていた男が、いまは胸を病んでいるのだ。神速と思われた剣の閃きも、おそらくいまは見る影もあるまい。
柱に背をあずけて、軒下に住みついていると思われる三匹の猫を、あやすでもなくぼんやりとかい撫でている総司は、いったいなにを思っているのだろう。その胸にすぎゆくのは無念なのか、それとも悔恨なのか。
……いや、こんなふうに感傷的に他人の心を決めつけて思ってしまうのは自分の傲慢さかもしれない、と歳三は思いなおした。
「……よう、総司」
歳三が声をかけたことで、三匹のうち二匹の猫はあっというまに走り去った。一匹だけ、手足の先が白い仔猫は、総司の手のなかで気持ちよさそうにくつろいでいたため、この場を逃げる機会を失ったようだった。
「どうだえ、身体の調子は」
あたりまえのように歳三は訊いた。当然のように、総司を病人として扱ったたずねかただった。
自分の知っている者が日に日に死の淵に向かって歩んでゆくのを見るのは、歳三にしてもやりきれなかった。親しい者であるならば、その事実はなおさらに胸をえぐる。
しかし、なにを言ったところで詮無いことだ、とも思う。おたがいの長いつきあいのなかで、いまさら変に気を使ったり遠慮をすれば、その不自然さのほうが総司を傷つけるような気がした。きっと立場が逆でも、自分はそう望んだだろう。
「ああ、土方さんですか。ええ、まあまあですよ。上方ではこういうのを、ぼちぼちでんな、って言うらしいです」
歳三の姿を認めた総司の声は、歳三が予想したとおりに明るかった。とくに気負ったふうでもなく、湿ってもいないし、うわずってもいない。
ああ、さすがに一番隊の沖田総司だ、と歳三はくちびるの端を引きあげた。新選組の一番隊長という職は、心身ともに柔な男であったならば、とても重責に耐えられない激務でもあるのだ。
「土方さんが来たから、みんな逃げちゃったじゃないですか。猫まで怯えさせないでください」
総司はそっと仔猫を庭におろし、仲間のところへ行くようにうながした。
「なんだ、おれのせいか?」
歳三はことさらに眉をあげてみせた。
総司の足元にまとわりついている小さな生きものは、みゃおう、とせつなげに鳴いて仲間を恋うている。
「ほら、お行き」
ふたたび総司がうながすと、仔猫はまるで総司のことなど忘れたように、細い四肢をとばして植え込みを飛び越えていった。
「──なんだか、残されたほうが哀しい気持ちになりますねえ」
総司はじっと仔猫が消えていった植え込みのあたりに視線を送っていた。
この野郎。
歳三は目の前の男を殴りそうになった。
そんなわかったようなことを言いながら、おまえはおれよりも先に行ってしまうのだろうに──。
熱い塊が喉元をすぎ、腹に落ち……我ながら情けないとは思いながらも歳三は、鼻の奥がつんと痛くなってくるのをむりやりに呑みこんだのだった。
「……でも、きっとおれが本気を出して走ったら、あの猫たちよりは絶対に速いと思うんですけどね。──土方さん、そう思いません?」
屈託のない笑顔でそう持ちかけてきた総司の声は、やはり普段とおなじものだった。
その、子どものころからまったく変わらぬ笑顔と、どんな苦境に立っても冗談を交えることのできるその声の下に、どれほどの意志と思いやりが隠されているのか。
総司自身が思い描いていた将来も当然あっただろうに、どんな思いでなにを諦め、なにを受け入れることに決断したのだろう。
ひと回りほど年が下のこの男のことを、いまほど歳三が心の底から尊敬したことはなかった。
「……おまえ、どこか底が抜けてるよ」
歳三もふり絞るようにして平静を装った。
「かなわねえなあ。やっぱり一番隊みてえにおっかねえ仕事でも平気でやれるような隊の頭には、おまえぐれえしか座れねえだろうな」
歳三の台詞を聞いた総司は、ひどくうれしそうな顔をした。
「でも土方さんも近藤先生も、そんなおれの上にいるんですよ。お二人のほうがよっぽどだ」
「まったく、ちがいねえ」
ふたりで笑いあって視線をあげた先に広がっていた空は、この秋いちばんに高く澄んだ蒼い空だった。
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