「御用改めである。新選組だ」

息苦しい。

縄手通の細長い路地を駆けぬけながら、歳三は喘いだ。

「無礼があれば斬り捨てる。新選組だ、御用改めであるぞ!」

 くりかえし呼ばわりながら、目についた茶屋や宿所に飛びこんでいるのだが、雨あがりの蒸し暑いさなか、重い鎖帷子を着込んで走りに走っているのである。汗がまとわりつき、なおさら息苦しさが増す。

歳三は、新選組の後発隊およそ二十名あまりをあらたに二手にわけた。

一隊を井上源三郎に預け、歳三自身はのこる十名あまりを率いて探索にひた走った。

しかし、なかにいる不審者に気どられぬように、ひそかに、そしてすみやかに改めを行うのは骨の折れる作業だった。

それにさきほどから長州人にはひとりもぶちあたらない。せまい町なかのことである。井上隊が浪士を見つけたならば騒ぎが歳三たちにもきこえるはずなのだが、一向にその気配はなかった。

どこかにいる。この洛陽のどこかにいるはずだ。古高の供述がまさかでたらめということはあるまい。

歳三は恐怖にかられて走っているのだった。足を止めると、空振りだったときのことを考えてしまいそうだった。

本来であるならば、古高の尋問とおなじく市中見廻りも、近藤や歳三がみずから出向くことはなかった。しかし、新選組は脱走者をゆるした報いを受け、この火急の事態に対応できる人数が圧倒的にたりなかったのだ。そのことでなんとなく肩身のせまい思いをしているうえに、大山鳴動してそれこそ鼠が一匹も出てこなければ、会津の今後の応援もおぼつかなくなる。

しかし、楽観的な希望もないわけではなかった。

第一に、桝屋方があやしいと比定されたのは、四月からの新選組の地道かつていねいな探索の成果だった。そして局長である近藤の決断で桝屋を捕らえ、尋問した。その流れのなかでの今夜の捕り物なのである。

その意味では好運(つき)は新選組にこそある。

会津や彦根の連中が助太刀をしてくれたところで、宮部ら浪士たちのほとんどを捕縛するのはこの好運を持つ新選組なのでは、とも逸る。

いや、それよりも万が一ここで宮部捕縛の大手柄を新選組以外にさらわれるようなことがあれば──あまりにも近藤が哀れではないだろうか。

近藤の真意は歳三にははかりかねたが、ふつうに考えれば会津の下知を待たずに先走ったのは功を焦ったからであろう。しかし歳三がどうしてもぬぐいきれなかったのが、その「功」が、刺し違えることと引きかえにすることを覚悟とした行動ではないのかという懸念だった。

新選組の局長みずからが斬込み隊長となり、華々しく討ち死ぬ。そしてその英雄譚は未来永劫語りつがれることになる──。

そんな筋書きはゆるせねえ。おれが人選したのは、すくなくともおとなしく勇さんに殉死するようなやつらじゃねえぜ。

近藤がともなったのは、沖田、永倉、藤堂といった使い手たちである。

数のすくない先発隊は、じつは新選組最強の尖兵でもあった。

沖田は天然理心流の天才だったし、永倉もまた、弱冠十八にして神道無念流の免許を受けた達人、藤堂もやさしい風貌に似あわず「魁先生」と呼ばれるほどに、いつも先陣を切って斬り込む北辰一刀流の使い手であった。

くわえて近藤みずからも天然理心流の宗家である。近藤が自決覚悟でいたとしても、ふつうの腕の連中なら沖田たちをかいくぐって近藤に太刀をあびせるのはむずかしいだろう。

歳三が先発隊をまず沖田たちで布陣したのは、すくない人数でも機動力と攻撃力が必要だと思ったからだった。ただでさえ人員の減った新選組だ、たとえ「気負って飛び出した連中」を装ったとしても、かれらを全滅させるわけにはいかない。

「先生、ここにもいませんぜ」

改めを終えた松原忠司が、厳しい顔をして残念そうに言った。

「よし、つぎをあたろう」

歳三は、探索が空振りつづきで疲れのでてきはじめている隊士たちをはげますように言ったが、焦る気持ちはだれよりも強かった。

浪士たちはいったいどこに潜んでいるのだろう。単独で世をあざむいた生活をしているのか、それとも幾人かでかたまっているのか、場所もその人数もまったく見当もつかなかった。古高は桝屋を隠れ蓑にしていたが、桝屋にほかの長州人が寝起きしていた形跡はなかった。

単独で潜伏しているのならば、完全武装した多勢のこちらがよもや返り討ちにあうとは思えなかったが、ひとつ処に大勢の浪士がつどっているのならばまた話は別だった。

かれらは、逃がれても行くあてもないおたずね者の身の上だ。ここが生死の別れ道だとばかりに、死にものぐるいで抵抗をするにちがいなかった。

こっちは何かあってもすぐに源さんの応援をたのめるのだが──。

近藤隊とは、川をはさんでいる。

手短に川東の改めを終えて近藤隊と合流したいと思うのは心情だったが、だからといって探索に手を抜くこともできない。もし川東に潜んでいた長州人をとりにがしたとあっては、とりもどすことのできない大失態である。

はやく浪士を見つけてしまいたい。

しかし見つけたら見つけたでさまざまな手つづきに時間がかかり、近藤隊との合流がそれだけおそくなってしまう。

そんなふたつの気持ちに翻弄されながら、歳三は首筋をながれる汗をぬぐった。

こうしている間にも近藤は窮地に陥っているのかもしれない。その伝説を完成させつつあるのかもしれない。

万が一勇さんを失ったとしたら……いったいおれはどうしたらいいのだろう。新選組をどうしてゆけばいいのだろう……。

ひやりと冷たい手が歳三の心臓をわしづかみにした。いいしれぬ恐怖が、身体をしばりあげる。

歳三は思い知った。

いままで自分は護られていたのだ。

他人から見ればそれはちいさな翼だったかもしれないが、近藤という男の羽根の下で、激しい雨からも吹きすさぶ風からも、いままで歳三は護られていたのだった。そしてその近藤や新選組もまた、会津の容保公の翼の庇護にあずかっていたのだ。

人の上に立つ者の立場はこうも恐ろしいものなのだ。

歳三は近藤の背負っているものの大きさをあらためて実感した。

その荷の大きさや重さはだれにも見えないものではあったが、それでもたしかに近藤の身体を日々蝕み、生気を削ぎ、胃痛で苦しめるものだった。しかし、その大きな荷物は、たとえどんな嵐がふこうとも、その足で大地を踏みしめて立ちつづける理由にもなるものだった。

人はかたちからつくられる。

 こうありたい、と願っているならなおさらだ。

 それを歳三は知っていた。

 そして近藤はまさにそれを体現しているのだった。

 農家の出身でありながら、剣客として二本の刀を差している。新選組の局長という突然にできた肩書きをもって攘夷を説き、政治を語る。はたからみたらなんと滑稽なことだろう。そんな近藤が幕府のお偉方から本心では軽蔑され、嘲笑され、相手にされていないことを歳三は知っていた。たんなる腕を買いあげただけで、必要だから使っているのだ。倒幕を狙う浪士を斬るためのだけの腕に、頭も口も必要はない。もちろん近藤自身もそれはわかっていただろう。

 京にたむろするあまたの志士と比べて、たしかに近藤は見劣りがするかもしれなかった。だが歳三は近藤の気性を知っていた。その信念も、そしてなによりもその一途さを。そしてそんな近藤のひたむきさをこの京都で買ってくれたのは、会津の容保だけであったのだ。

 「誠」という赤い旗が近藤を象徴している。

赤誠とは、すこしもいつわりのない真心のことである。これをあからさまに掲げるのは歳三にしても少々気恥ずかしい思いがするのだが、新選組には目に見える象徴が必要であった。実態が殺伐としているならなおさらだった。

おれにはまだ新選組をあずかる心構えができてはいない。だから──

あたえられた新選組という枠のなかで、だれよりももがき苦しんでいるのは局長の近藤であるはずだった。それを知っていながらも、だからあんたが必要だ、と歳三は血を吐くように思った。

 

 

             ■ ■ ■

 

 

「川をわたるぞ!」

 叫びながら歳三はもう走っていた。

四ツをとうにすぎていた。歳三たちは東側一帯をあらかた調べつくしたころだった。潜伏していた長州人はひとりもおらず、徒労感が皆を襲う寸前だった。駆けてきた会津藩兵が、近藤たちが三条小橋の「池田屋」という旅籠に近藤隊が押し入ったのだという情報を持ってきたのだ。

 池田屋は、主人の池田屋惣兵衛が長州の出身で、この旅籠も長州の定宿だった。かねてより作っていた不審箇所一覧のなかにもその名前があがっていたが、どちらかといえばちいさな旅籠で、改めの際に最重要の箇所とはいえなかった。

会津藩兵によると、何名いるのかわからないが、そこで長州の浪士らが会合を行っていたらしい、ということだった。

 脚が気持ちに追いつかない。

 おれが助けると言っておきながら、このざまはなんだ。

 ふがいなく思う気持ちと、早く行かねば、という焦燥にかられ、後ろに隊士たちがついてきているのかさえもわからなかった。

 三条大橋をわたり木屋町通にまでくると、三条小橋のむこうにおもいがけずたくさんの提灯がみえた。提灯のあかりが見え隠れしているのは、大勢の人間が動きまわっているからだろう。

 勇さんは──、沖田は、新八っつあんは、そして平助は……!

 試衛館時代からの仲間の名前がつい出るのは人情ともいえた。

 橋をわたると、池田屋がみえた。

「加勢に参った。新選組の土方だが、子細をお聞かせいただきたい」

 火事場のようにごった返しているなかで、とりあえず目についた兵士に訊いてみる。

「なかはほぼ鎮圧しています。ほかにも逃げた浪士がいるので、市中に追補を出しておりますが……」

「まだ潜んでいるかもしれぬ。天井裏や台所、風呂場などをあたってみましょう」

 そう言った瞬間だった。

 勇さん……!

 人垣のむこうに近藤の頭をみつけた。なかの様子を会津藩兵に報告しているようだった。

 ああ、無事だったのだ。

 深い安堵が全身をつつむ。

 人垣をかきわけて「局長」と、声をかけようとした歳三は、近藤の様子にしばし言葉をうしなった。殺気立ち、まるで炉から出したばかりの熱い鉄のようだった。近藤の発する熱い奔流が歳三のところまでながれてくる。

「井上隊長とはかって再突入の振り分けをしてくれ。みな間取りをじゅうぶんに頭のなかに入れてくれ」

 歳三たちとほぼおなじくして池田屋に到着した井上隊の隊士たちにそう言ったのは、歳三自身が間をおきたかったからだった。

 ゆっくりと近藤に向かって近づいてゆきながら、脚がふるえてとまらなかった。

薄暗いなかでも近藤の凄惨な姿がわかる。自身のものか、それとも討ち取った浪士の返り血なのか、全身が血にまみれていた。まだ抜き身を握っており、その姿はさながら鬼神のようだった。

その姿は、真田行村や楠正成、関羽や孔明といった講談師の威勢のいい声や軍記物の行間からたちのぼる、すぐに消えてしまうような幻ではなかった。この王城の地で生きる場所をそのみずからの手で掴み取り、奪い取った、現実の英雄の姿であった。

 歳三は、近藤という男がもはや自分の手の届くところにはいないような気がした。

 近づく歳三に気づいたのか近藤の顔がこちらを向き、稲妻のように炯る眼で歳三を射た。歳三の腕に鳥肌がたつ。その場に、一瞬で縫い止められたような気がした。

 集団のなかに歳三をみとめてわずかに目を細めた近藤の顔は、血と汗にまみれていたが堂々と男らしかった。誇らしい、と近藤のことを思う気持ちが涌きたって全身をかけめぐる。

「歳」

 死闘の最中にずっと叫び続けていたのだろう、近藤の声はしわがれてくたびれていた。それでいてなお、ゆるぎない自信にあふれていた。

近藤のその呼びかけは、歳三の賛辞を待っているのだった。

「さすがだな……」

 だから歳三は、その目のまえの人の無事な姿に安堵のあまりすがりつきたくなる気持ちを奮いたたせて言葉をさがした。

「さすがあんただ、新選組の局長だ。勇さん、……惚れ直したぜ」

歳三の声は感嘆でほとんどかすれたつぶやきに近かった。歳三の言葉は近藤にしか聞こえなかっただろう。

近藤は瞳を煌めかせ、歳三の賞賛にひとつ、大きくうなずいた。

「胸を張れ。おまえはその新選組の副長だ」

歳三の肩を二度たたき、歳三がふるえるほどの渋い声でそう下知した。

 

 

 






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