初春夜道
−はじめてあるくはるのよのみちー



 無茶だったかもしれない、と夜道を歩きながら歳三は悔やんだ。
 寺に除夜の鐘を突きに行ったまでは、いつもの大晦日と変わらなかった。
 なんにしろ大晦日から正月は特別だ。ふつうであればとっくに寝ているはずの時間に起きていても咎められることがないのも大晦日くらいであったし、寺への参拝の道中には夜店がならび、お気に入りの薄荷の飴をしゃぶって歩くのも毎年の楽しみだった。
 家に帰り、これもまたいつものように雑煮に入れてもらう餅の数を申告し、新調してもらった下着や着物を枕元に置いて、昂奮しつつもぐったりと疲れて床に入ったはずだったのだが、歳三にはひそかに決心していることがあったのだ。
 初日の出をみよう。
 この正月を迎えてようやく八つを数える歳三にはよくわからなかったが、大人たちの話によると、元日に迎える最初の日の出は、尊くもありがたいものらしい。それに、「最初」ということに歳三は心惹かれた。
 はじめて。いちばん。
 兄や姉からはもったいないと苦情を言われても、雪の積もった日にわくわくして庭に飛び出し、いちばん最初に足跡をつけるのはなんとも言えない喜びだったし、半年ほど迷いこんだ野良犬を飼っていたときは、駆けっこに勝てるまで何度でも橋まで走った。たとえ相手が犬であろうと、歳三はいちばんにこだわりたかったのだ。
 よし。
 歳三は気合いを入れて跳ね起きた。夜の闇は冷気にはりつめており、ほどよい加減にぬくもった布団から出るには、多少の思いきりが必要だった。
 枕元に脱ぎすててあった綿入れをつかみ、歳三はそっと部屋を抜けだした。
 冷えきって尖ったような空気に、息をすると胸が痛む。廊下を踏む足の裏も冷たさにじんとしびれたが、それよりも頭のほうは怖いくらいに熱かった。板が軋む音が思った以上にひびき、家人が起きだしやしないかと、そっちのほうが気がかりだった。 
 飯の残りがまだあるかもしれない。歳三は台所へと向かった。寺への参拝がすんだあとも大人たちが遅くまで酒宴を張っていたせいか、夜半をすぎてもまだ釜戸の火のなごりがあり、台所はほんのりと暖かだった。
 息をひそめて提灯に火を入れると、正月を迎えるために整然と片づけられた室内が浮かびあがってきた。土間も掃き清められ、塵ひとつ落ちていない。拭き磨かれた柱も美しく光っている。
 そういえば居間を掃き、畳を拭きあげたのは自分だった。昼間に嫌々ながら雑巾を持たされ、適当に丸く拭いていたのを姉に見とがめられてしまったのだ。たった四つしか年が変わらない姉にうるさく小言を言われ、あまりに煩わしかったのもあって、なかばやけくそ気味にきっちりと拭きあげた。
 いつもの見なれた家のなかであるにもかかわらず、すべてにおいて清々しくも敬虔な空気が充ちている。
 吐く息が白く見えるほどの寒さとは別に、歳三の身がひきしまった。
 まだ幼い歳三にははっきりとした言葉で意識することはできなかったが、暦が変わり、新しい年を新しい気持ちで迎えるのはこういうことなのだと、実感としてわかった。
 櫃にはまだ冷や飯が残っていた。まださほど知恵のない子どもの両手は、握り飯は手水をつけて握るということがわからず飯粒だらけになったが、そんなことよりも自分のちいさな手ではちいさな握り飯しか作れないことが不満だった。
 こんなもんで足りるかよ。
「男は腹いっぱい食わねばならねえぞ」
 というのは武張ったことの好きな長兄の為二郎が、痩せて食の細かった歳三にくりかえして言いきかせたことだ。腹が空いては、いざというときの覚悟も力も出ない。男が大きな仕事をしようと思うんだったら、たくさん食べて、人の十倍も働かなければならない、というのが為二郎の持論だった。
 歳三は、この盲目であったが剛胆で、浄瑠璃が好きでいつもなにかしら口ずさんでいた道楽者で粋人の為二郎が好きだった。二十以上も年が離れていたため、歳三は為二郎の話し相手にはなれなかったし、為二郎も歳三の遊び相手にはならなかったが、ところどころ少年の歳三の自尊心をくすぐるようなことを言ってくれる為二郎は、親代わりに小言ばかり言う次兄や姉よりもよっぽど気のあう存在だった。
 おれはいまからお不動の山にのぼって「初日の出」を見にゆくのだ。
 それは夜中にひとりで外出などしたことのなかった歳三にとってはずいぶん「大きな仕事」なのだ。自分のおぼつかない手で握ったちいさな握り飯などではとても足りないような気がして、いつ家人に見とがめられるかと、そればかりが気になりながらも、歳三はもうひとつ握り飯を握った。
 大きさもそろってはいないし、手にとっただけでくずれてしまいそうな不器用な代物だったが、それでも歳三はひとつ大きくうなずいた。なによりも自分で「はじめて」握り飯を作ったことに満足だったのだ。
 そのへんにあった竹で編んだ弁当箱に握り飯を放り入れ、水筒にも水を入れた。飯粒だらけの両手を舐めて飯をこそぎ落とし、それでも取れないものは寝間着になすりつけたところで気がついた。寒い。気が昂ぶっていたのでわからなかったが、なにも羽織らずにいたせいで、手も足もすっかり冷えきっている。
 くしゃみが出そうになったのをこらえて、急いで綿入れを着込んだ。いまから外に出るには首元も寒いだろう。手拭きに掛けてあった手ぬぐい二本のうち一本を首に巻き、一本は弁当箱と水筒を包んで手に持った。
 音を立てぬように細心の注意を払って引き戸を開ける。後ずさりしそうなほどの冷たい風が吹きこんでくる。思わず首をすくめたが、歳三はそれでも一歩、足を踏み出していた。
 提灯の薄暗い明かりでも、息がいつもより白く凍ってゆくのがわかる。歯の根が噛みあわなくなってきたが、歳三はわくわくしてしかたがなかった。このまま駆けだしてしまいたい気持ちだ。
 胸をはると、夜空にたくさんの星がきらめいているのが見えた。
 さあ、行こう。
 歳三は提灯を持ち直した。





つづきます……。


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