新 魂−ARATAMA−




また、雪が降ってきた。
 吹雪いてくるのだろうか、とかれはいくぶんうんざりした気持ちで舞っている雪を見ていた。
 耳がちぎれそうだった。そして呼吸をすると、冷気のために吸い込んだ胸がするどく痛む。吐いた息が白くなる、というよりもまつげや眉にかかり、白く凍る。
 冬になると綿入れが手放せず、火鉢を抱えこむように背を丸めてなんとか過ごしていた自分がこんなところに来ているなどと知れば、家のものはさぞやおもしろがるにちがいない。現に、こうやって箱舘の地に立つ自分ですらも、なんとおかしななりゆきだろう、と思っている。
 明治元年大晦日。
 なにはともあれ明日は正月で、この北の地に逃げてきた男たちも、どことなく浮かれている。酒を呑んで年を越すのだと酒宴を張っている者もいれば、町に繰りだしている者もいる。
 十月に箱舘に上陸したときは、幕軍は満身創痍であった。誇りも身体も手ひどく痛めつけられ、そうやってみると自分がこの北の地に流れてきたのは、榎本のいう共和国を心から信じたわけでも、本気で幕府再興を望んだわけでもなかった。ありていにいえばただ、朝敵となってしまった自分たちにはこの日本のどこにも居場所がなかっただけだったのだ。
 かれ自身も上陸後すぐに七重村で負傷し、この榎本軍の幸先の悪さを肌身に感じていた。そして追い打ちをかけるような開陽丸の座礁である。
 開陽丸を失った事実は、かれのような一兵士にすら、その重大さと深刻さに身ぶるいをさせた。
 ただ、これで肚が座ったのもたしかであった。
 もうこれでほんとうにここで戦うしか自分の居場所がないのだ、とかれは背中に筋金が入ったのを実感した。
 むこうに、人の気配がした。
「誰だ」
 短く誰何したのは、くちびるが寒さのためにしびれかけているせいだった。
 首に布を巻いていても箱舘の夜の冷気は肌を刺すようにしのびこむ。
「見廻りですか、ごくろうさまです」
 灯りを向けると、木訥とした笑顔の男が立っていた。
「隊長、失礼しました」
 かれはあわてて気を付けの姿勢をとった。
「もうすぐ年が明ける。こんなところで新年を迎えることもないでしょう」
 新選組隊長の相馬主計である。
「あなたは……」
「新選組の金子庄兵衛です。とくに見廻りというわけではないのですが……」
 一瞬にして寒さが吹き飛ぶ。
 言葉をにごす金子に、相馬は気安く肩をたたいた。
「金子さんの手にした灯りがつい、見えたものでね。気になって来てしまいました」
「申し訳ございません」
 相馬の足労を思い、金子は詫びた。
 金子がこうやっているのは見廻りというわけではなかった。ただなんとなくもの哀しい気持ちになり、皆といっしょに過ごすのがいたたまれなくなっただけなのだった。
 新しい年を喜ぶような気持ちにはなぜかなれなかった。かといってそんな気持ちのまま自分がいたところで座が白けるだけであろう。することもなく夜気に身をさらしていた、といったほうが当たっていた。その寒さが、金子のいくぶんみじめな気持ちに喝をいれ、そして慰撫してくれていたのは事実なのだった。
「金子さんは、どちらの出身ですか」
 相馬は親しげに、だがていねいにたずねてきた。歳は金子のほうがずっと上である。
「桑名です」
 金子はその桑名の農家の次男坊だった。
「そうですか。それでは、この寒さはこたえるでしょう。もちろんわたしだって同じです」
 その「同じです」という相馬の言葉が、金子の胸に銛を打ちこんだかのように突き刺さった。
 そう、この箱舘に集う男たちは、年齢もちがえば生まれた場所も育った境遇も、そして信じているものもそれぞれ異なっている、寄せ集めの集団だった。しかし、それでもかれらは同じなのだった。全員が朝敵という、大逆を犯した身であった。
 徳川のため、そして薩長ゆるすまじという義憤のため、自分たちの正当性を信じていながらも、「朝敵」という不当な烙印の重さはつねに箱舘軍の男たちの心にのしかかっている。相馬の使った意味とは違えども、その事実が金子の骨身に染みる。帰る場所などどこにもないのだという事実をつきつけてくる。
「隊長はいかがされたのですか」
 金子は相馬があらわれた理由をたずねるのを失念していたのに気づいた。
「これです。もう、冷えてしまっていると思いますが」
 相馬の手には銚子があった。
 金子には思いがけない返答であった。
 その瞬間、しんみりと除夜の鐘の音がきこえてきた。
「あけましておめでとうございます」
 金子が、あっ、と思った瞬間に、先に頭を下げたのは相馬だった。
 そしてふたたび鐘の音が追い打ちをかける。その夜気をふるわせるおごそかな音は、箱舘の新しい年を告げるたしかな希望の音でもあった。
 金子の胸も、ふるえていた。
 帰れなくてもいい、そんな場所はいらない。
 相馬のまつげにも氷の粒がついているのを見て金子はそう思った。
 年があらたまるのと同時に、自分のなかの何かが生まれ変わったのがわかった。
「隊長、あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします」
 新しい年のいちばん始めに会った男が相馬でよかったのだと心から思った金子は、深く、頭を下げた。胸によぎるさまざまな重さのために、かれはしばらく頭を上げることができなかった。
 そんな金子に、相馬は懐から猪口をひとつとりだして差しむけた。
「どうぞ呑ってください。すこしは身体が温まるかもしれませんから」
 たしかに猪口を受けとる金子の手はかじかんで、もうすこしで落としてしまいそうだった。
「かたじけない。いただきます」
 注がれる酒を押しいただき、一礼すると金子はぐっと呑みほした。
 喉をゆっくりと落ちてゆくその酒は、すっかりぬるくなっていたが、男の胸を熱く焦がし、奮いたたせ、そして勇気を与えるそんな酒だった。




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