そのときまるで視界を切り裂くかのように、稲妻が走った。

「……見てみなよ、勇さん。山南さんもだ。綺麗なもんだぜ」

畏敬をふくんだ歳三の声に、山南はちらりと手元の書類から視線をあげただけだったが、近藤はわざわざ腰をあげて歳三のかたわらへとやってきた。

しばらく間をおいて、大地を揺るがすようなすさまじい落雷の音がひびいた。びりびりと建具もふるえる。同時に店のあちこちで妓たちの悲鳴があがったが、近藤は腕を組んでひとこと言ったきりだった。

「勇ましいな」

たしかに。

歳三のくちびるがわずかに笑む。

このあたりが、他人にはなんとも説明のしようがない感覚であった。

以心伝心というのは言いすぎであったとしても、近藤という男は、その発言やふるまいが、歳三の気分におどろくほどにぴたりとはまることがあるのだった。

歳三が近藤と出逢ったのは十五のときだった。

当時まだ宮川勝五郎という名だった近藤は、歳三の義兄でもある佐藤彦五郎の剣道場に、天然理心流の宗家であった近藤周助にともなわれてやってきた。その出稽古は周助の養子になることの決まった勝五郎の、次期宗家としてのお披露目でもあった。

そのとき歳三は彦五郎のたんなる義弟として引き合わされただけなのだったが、のちに歳三も周助に入門することになり、以来、近藤は歳三にとって剣の上では兄弟子であり師でもあった。畏友であり、実際に義兄弟の契りを交わした盟友でもあった。

 新選組においては近藤は局長、歳三は副長という立場であったが、その実際はたんなる頭と手足という役割などではなかった。たとえるならば山南がいま手にしている紙のように、表裏とみえてじつは一体、おたがいに相手のことを、ずっと自分のとなりで歩いてゆく男だと感じているのだった。

近藤はすでに妻帯し、江戸に妻子をのこしているが、女でしか知り得ない部分はもちろんあるにしても、歳三は近藤の妻のツネよりも多く、そして具体的に近藤のかみしめている挫折の味と、あたためつづけているあこがれの形を知っていた。

 そして、歳三の生まれもっている繊細さと、ひそかにかくしている烈しさもまた、おなじように近藤にも知られているにちがいなかった。

ふたたび稲妻が細く空を切り裂き、歳三は近藤とふたりならんでしばらくそのさまを見ていた。

ざあ、と雨が地面をたたく音が心地よい。

 本降りになってきたせいで躍りこんでくる雨粒に戸を閉めながら、歳三はすこし安堵した。近藤の顔は、さきほどよりはいくぶん気の晴れた様子だった。きっと自分もおなじ顔をしているにちがいなかった。歳三もまた、そんな近藤をみてほっとしたのだった。

あらためて座り直すと、歳三は煙管に火をつけた。煙草はそう好きでもなかったが、この重苦しい空気のなかでただじっと黙っているよりは、煙草を喫んでいたほうがよっぽどよかった。

「多少手を加えたほうがよいところはあるでしょうが、わたしは、基本的にはこれでよいと思います。まさしくこれが我々の本心です」

ときおりうなずきながら近藤のわたした書状を読んでいた山南は、腕を組んだまま目をとじて思案していた近藤にむかって、しずかにそう言った。

「これがもし認められたならば、また、江戸に帰ることになるのでしょうかね……」

近藤に書状を返しながら言った山南のそれは問いかけではなく、ほとんど個人的な願望のように歳三にはきこえた。

そういえば最近の山南はふさぎこんでいることのほうが多かった。まともな言葉をかわしたのも、歳三にはずいぶんひさしぶりのような気がする。山南もまた、一見温厚な性格の下には筋金の入った攘夷魂と頑固さをを胸にひそめていたから、最近のありさまには失望も大きいのだろう。

「そうなればなったで、こういうなりゆきが定めだったのだろうが……おれは、あたらはかない夢をみせて、皆を引き連れて京くんだりまで出てきてしまったことの責任を痛感しているよ」

ことばだけではなくほんとうに痛みを感じているのか、近藤は顔をしかめて胃のあたりをさすっている。役職柄、心労の多い近藤は昨年からずっとこの胃痛に苦しめられているのだ。たしかに近藤の立場としてはほかの人間には言えなかっただろうが、夜ふけにひっそりと歳三にだけはこぼす愚痴もある。

 その近藤の心痛のほとんどを代わってやれぬ辛さもあり、最近は歳三の胃までもが近藤に左右されている始末だ。朝から近藤の顔色のわるいのをみたときなどは、歳三のみぞおちもつきあってキリキリと痛むようになってきている。

ふうっ、とそのとき歳三が紫煙を吐き出した音がやけに大きくきこえ、ふたりの注目をあびた。

「歳さんも見てくれるか」

紙をさしだし、近藤はじっと歳三の目を見て問うたが、歳三は首をふった。読むまでもなく近藤の手のなかにあるその書状の内容を、歳三は知っていた。

進退伺──

意見をのべるための「上書」という形ではあったが、書状に正しく呼び名をつけるならばそれだった。

「いや、歳さんにも目を通してもらいたい」

近藤はじっと歳三の目を見ていた。おおきく息を二度ほど吸って、歳三は観念した。

「……わかった」

歳三が承諾したのは、近藤のことばが局長としての命令ではなく、近藤の個人としての懇願だったからだった。

 ちいさくためいきをついて歳三は書状に目を通した。近藤の黒々とした明快な筆跡が決意のほどを語っている。

〈私どもは昨年以来、尽忠報国の有志をお募りに相成り、即ちお召しに応じて上京つかまつりこれまで滞京罷りあり、昨年八月中に市中見廻りを仰せつかり、また当四月中にも相改めて見廻りを仰せつかったにつき、ありがたく相勤め罷りあり候〉

近藤の書いた草案は、なおもつづく。

──しかし幕府としても市中見廻りのために浪士を集めたわけではないのではないか。自分たちとしても見廻りをさせられるとは思ってもいなかった。万が一の変事があれば国のために働こうとみな決意はしているが、将軍が二度も上洛したのに攘夷の決行もなく江戸に帰るならば、攘夷のために京に来た目的がなくなってしまい、なにか失敗をして迷惑をかけてしまうのも心苦しいので、いっそ新選組の解散を命じていただきたい──。

 近藤は本気だろうか、と本音をいえばさっきまで訝っていた歳三も、読みすすめるに唸るしかなかった。ここまで市中見廻りを拒否する意志を明記するならば、受けとった幕府としても、なんらかの返答をしなければなるまい。

 最悪の場合は江戸に帰ることになり、また一剣術家として稽古を積み、出稽古に出かけたりすることになるのかもしれなかったが……はたして、自分がそうした生きかたにいまさら満足できるのか、歳三にはまったく自信がなかった。

「内容には依存はないぜ」

 心中とはうらはらに歳三は言った。そして書状の角をきっちりと合わせてていねいにおりたたみ、近藤にむけて畳に置いた。

「そうか。よかった」

近藤の声は明らかに安堵していた。書状を取ろう出した近藤の腕をそっとつかみ、歳三は目をほそめて、つぶやいた。

「しかし、なるようにしかならねえさ」

 雨は、いつしかあがっていた。

 





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