同日、六ツ時。 新選組では装備のそろったものから、おのおの祇園会所へ集合していた。 近藤の叱りとばすような檄が飛ぶ。 歳三はもう一度みずからも刀を点検しつつ、奮い立つ気分になるのをおさえきれなかった。 雨はもう、やんでいる。 まだ湿気をふくんだ強い風が吹き、一刻ほどまえまでは空を覆っていた厚い雲も、すっかり吹きはらわれるにちがいなかった。まだ明るく、人の顔の判別もついたが、もうじき夜の帳がおちるはずだ。 歳三はさっきから幾度となく胴ぶるいをしているのが、古高の自白した内容のせいだとは思いたくもなかった。 古高の話した内容は、新選組が桝屋で押さえた書状にあった計画を補強するものだった。古高は宮部や、長州の吉田稔麿らの名を出し、御所焼き討ちの陰謀が直前に迫っていることを語った。その決行は祇園祭の宵、大勢の人が繰り出すその騒ぎに乗じて放火する、という筋書きだという。 祇園祭は七日である。 となると、のこされた猶予は今日を含めて実質一日半しかない。そのみじかい間に潜伏している多数の長州人をいぶりだして捕らえなければ、かれらは本当に計画に着手してしまうかもしれなかった。そして古高を奪われて動揺しているだろうかれらが、その計画を早めてしまうおそれもじゅうぶんにある。 それにこの風だ。 火の手があがったならば、たちまちのうちに炎は洛陽を舐めつくすだろう。 この市内が火の海になったならば、いやそれよりも、この情報をつかんでおきながら宮部らを拿捕できないとなると、新選組の存在すらもあやうかった。 《自然銘々失策仕手仕……》 先月、老中に提出した上書に近藤がしたためた文句が脳裏にうかぶ。 さらに解散さわぎで規律もゆるみ、最近は統制もとれていないのが現状だった。 〈出奔せし者は見つけ次第同士にて討ち果たすべし〉 危機感にあおられてそんな隊規をつくったものの、櫛の歯の欠けるように、脱走するものがあとを絶たなかった。六月一日に四十八名いた隊士は、今朝は四十名あまりになっていた。そして明日はもっと減っているのかもしれなかった。 今回の捕り物に失敗はゆるされない。 ふたたび、怯懦する頭におぼえこませるように思った。 ここで宮部をとりにがしたとあっては、さらなる脱走者を増やし、新選組存亡の危機となることはまちがいがないのだ。 緊張とともに、指先がじんとしびれる。 京洛の平和を乱す過激な浪士を取り締まりつつも、本心でいえば、歳三は平安というものをすこしものぞんでいなかった。新選組が必要とされるのは騒乱、動乱の世である。新選組が存在しつづけるためには、ぜひとも激派の騒動が必要だった。餌を喰らわねば、狼も餓死してしまう。 しかし、今回の狩りは別だった。 取り逃がして市中が火の海となれば、その狩り場も灰となってしまう。そして容保以下、新選組に対する市民のわずかばかりの期待も裏切ってしまうことになるのだ。 できることならば大物をはじめ、長州勢を根絶やしにする。 そして「壬生浪士」ではなく、「新選組」という正式な名を、洛中のみならずこの日本にあまねく知らしめたい。そして、あの新選組の、という賞賛をもって自分の名まえを讃えられたい── それは歳三だけでなく、上洛してきた試衛館の男たちがみなひそかに思っていることだった。 風雲をもとめて遠く江戸からやってきたかれらが、そんな講談のような夢をみたとしても、いったいだれがかれらを責められるだろう。みな、その夢をみるために生命を質草に入れているのだ。 そのとき、何人かの男たちがたむろしているなかで、何人かの派手な笑い声があがった。 歳三はわれにかえった。 その笑い声の中心は一番隊長の沖田総司だった。背のたかいかれが、身を折るようにして笑い転げているのが歳三のところからも見える。 まわりに集っているのは一番隊の面々と、試衛館時代からの仲間、原田や永倉、藤堂といった連中だ。 ああ、変わらない。 歳三の緊張が、一気にほぐれる。 これから大捕物を仕掛けようというのに、連中ときたらまるで近所の出稽古にでもでかけるような雰囲気だ。 なにを話しているのか、同い歳の沖田と藤堂は、にやにやしている原田から小突きまわされている。この時間だ。若いかれらのことを祇園の美しい芸妓をネタにからかったのかもしれないが、江戸の試衛館道場でつるんでいたときと、まったく変わらぬ光景がそこにあった。 沖田がいて、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、井上源三郎、そしていまは屯所の留守を預かっている山南がいて──沖田の陽性な笑い声とは対照的に、おだやかな山南の笑い声さえもよみがえってきそうだった。江戸ではこういった輪のなかに歳三も入り、みなの大黒柱でもある近藤は、おおきな口をほころばせて、みんなの様子をにこにこしてながめていたものだった──。 歳三は、すこし離れた場所にいる近藤をそっとうかがった。 気負っているのはおれと……勇さんだけか。 近藤は目を閉じ、厳しい顔つきのまま腕を組んで座っている。 すると、なにかを決意したように近藤は立ちあがった。 「歳、」 と、隊士たちの前であるにかかわらず、近藤は試衛館時代のように歳三をその名で呼んだ。 その近藤の声に歳三の表情がひきしまる。 「時間が惜しい」 叩きつけるような近藤の声だ。 「早いが出るか?」 歳三はすぐに応えた。 「先発ということで何人か出せばよかろう。おれたちは人数がすくない。会津の下知を待てばそのぶん出遅れる」 打てば響くような歳三の応えに、近藤はおおきくうなずいた。 「全員が先に出るとまずいだろう。とりあえず十名ほどを出し、すこし時間をおいてのこりが出立するほうが、会津にも申し開きがたつ。気が急いた連中に引きずられたってえ寸法だ。先発は、総司、新八っつあん、平助──」 目で勘定しながら歳三は布陣した。 「そしておれがゆこう」 自分が先発隊を率いようと思っていた歳三は、近藤のそのことばに芯からおどろいた。 言葉尻をぶんどるように近藤は吐き捨てた。 一瞬、ふたりの視線が真っ向からぶつかりあう。 「わかった」 大きな口をにやりとひきあげ、そうひとこと残して、近藤は祇園会所をあとにした。
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