鬼火
−弐−



 なるほど、な。
 斎藤は、人を見るときにいつもするように目を細めた。ひとことで言えば、隊士たちの前に立つ初顔の男は、人物だった。
 伊東大蔵改め伊東甲子太郎。
 伊東は新入隊というよりも、客分あつかいで加入してもらったといったほう正解であったし、一同を集めて行った就任のあいさつは、どんなに辛い点をつけてもほぼ満点といってよかった。
 伊東はまず、今年の干支の甲子年にちなんで名に託したのだと述べて新選組加入の意気込みを披瀝し、要約すれば諸君とともに門弟ともども勤王の志に身を捧げる覚悟であるという所信を表明した。品のいい容姿から繰りだされる言葉は、穏やかではあるが説得力に満ちていて、野次馬気分で引き合わされた隊士たちにも、伊東という男に対する期待を持たせるには充分であった。
 事前に幹部たちにはひととおり紹介があったものの、そのときには伊東には単なる頭の切れる優男という印象しか持たなかった斎藤も、伊東評については大幅な修正を余儀なくされた。
 北辰一刀流の本所深川佐賀町の伊東道場といえば名の通った道場でもあり、道場主の伊東も文武両道をあわせ持つ論客として知られていた、いわば大物だ。また、試衛以来の幹部である藤堂平助が直々に伊東を口説いて新選組に招いたという話は隊士たちの間にもすっかり広まっており、伊東に関しては、近藤が三顧の礼をもって迎えたのだというほうが近い。なにしろ参謀という、伊東が座るためにわざわざ新しく定められた席が、その事実をわかりやすい形であらわしていた。
 わずかに視線をずらすと、近藤は伊東のとなりでしきりにうなずき、大物を新選組に迎え入れた満足といくぶん誇らしげな様子が見てとれた。
 近藤は以前から天下国家を語るのを好んでいたせいもあるが、近ごろ新選組の局長としてみずからが幕府の要人と対面して政治むきの話をすることが多くなってきたせいか、政治家という人種への傾倒ぶりがあからさまになってきた。そういえばこの九月上旬の近藤の江戸行きは将軍上洛の周旋が目的であったし、みずから政治の表舞台に立ちたいと思っているのが斎藤の目から見てもはっきりとうかがえる。
 局長のこういうところが憎めないところでもあり、鼻につくところでもあるんだがな……。
 斎藤は冷めきった、とはまだ言えぬ複雑な気持ちで近藤を見た。
 斎藤も名を連ねたが、先月には永倉や原田とともに、増長した近藤への不満を訴える建白書を会津公に出したほどである。会津公のとりなしで建白書の遺恨は決着がついたが、そうかといって一度心で思ったことをかんたんになかったことにできるはずもない。高名な志士を迎えてはしゃいでいる近藤に、嘲笑の目をむける隊士がいてもふしぎではなかったし、そういう隊士はますます伊東の評価を上げるだろう。ただ、建白書という公式な文書にしてまで近藤に楯突いたにもかかわらず、斎藤が心情的に近藤を切り捨てられないのは、近藤の生まれ持っている一途さとでもいうべき人間的魅力が、まだ斎藤を離してくれないからでもあった。
 一方、土方は無表情なまま腕を組んで微動だにしていなかった。
 どうやら副長の旦那はこいつがお気にめさねえ、と見たね。
 斎藤は鼻を鳴らした。
 あいかわらずわかりやすい御仁だなあ、と斎藤は内心苦笑した。
 近藤とちがって土方はその点、政治屋、政談屋といった人間はそれほど好きではないようだった。大局を語らざるをえない政治家と政談に花を咲かせるよりも、より具体的でこまごまとした交渉や決めごとに当たるほうが好みに合っているらしく、人物評で好ましく挙げる名まえも、優秀な実務方である会津の公用方の人間であったり、交渉に垢抜けた商人であったりした。
 古参の幹部たちはみな知っているのだが、好みが激しい土方は、そんなおのれの性質を自覚しているのか、気の合いそうにない人物の前に出るときにはことさら気を使って感情を表に出さないようにしている。いま能面のように表情をくずさぬように努めている土方が、歯をくいしばるほどに伊東のことをいまいましく思っていることが、斎藤には手にとるようにわかった。
 もちろん土方の懸念がわからない斎藤ではない。
 伊東の立つ立場がはっきりしないせいもあるし、門弟を引きつれてという手土産つきでの加入が、思った以上に影響力を持ってしまう恐れがあった。
 というのも、新選組には前例があるのだ。一年まえの文久三年九月、新選組の局長を近藤ひとりに集約するために当時筆頭局長であった芹沢鴨を試衛館派で暗殺したのをはじめ、芹沢のとりまきをすべて排除した。芹沢派の根絶やしは会津の上意という意味以上に、試衛館つながりの剣客一派で組織を占めることの重要性を、近藤がなによりも知っていたからでもあった。
 人間は同類をさがして群れたがるものだ。とくに新選組のような藩を超越した組織では、共通の基準となりえるものが剣術の流派くらいしかないのもある。
 伊東のように大流派である北辰一刀流の出身者が、ある程度の数をそろえてとりあえず新選組に加入する。それを核として信奉者をふやし、いずれは新選組本体のみならず、金銭的な援助をたのめる支援者、情報網、……この一年半ものあいだ文字どおり身体を張って築きあげたものを乗っ取るのではないか――あえて言葉にすれば土方の懸念はそういうことだったろう。もしかすると土方の脳裏には、芹沢を粛正したあの雨の夜のことが、突き殺される芹沢が近藤に変わってくりかえしよぎっているのかもしれない。
 しかし、伊東の人物は江戸以来の同志である藤堂が保証したも同然であり、よほどの理由がないかぎり伊東の加入を歓迎こそすれ、反対できる材料を持ちあわせていなかったというのが実際であっただろう。
 伊東が新選組に加わるとなった際に、近藤といったいどこまで方針の摺り合わせができているのかはわからなかったが、近藤の主義は勤王といっても徳川ありきのもので、ふがいない幕府の権威を復活してこそのものだ。
 近藤の憑拠は、今上陛下は長州をはじめとする過激な倒幕をお望みではなく、また新選組を雇用している会津公容保が陛下に篤いご信任をいただいていることであり、近藤の気持ちとしては容保公はじめ自分こそが尊王の本流であり、巷議において倒幕の二文字や幕府不要論がでること自体が、尊王を騙った権力闘争である、という立場だ。その近藤の主張を実践しているのが新選組であり、池田屋で武力を持って不逞浪士を取り締まった実績を足がかりにして発言力を増そう、というのが戦略であった。
 このことを踏まえて永倉や斎藤は近藤が新選組を私している、と糾弾したわけであるが、実際に新選組は池田屋以降ますます過激倒幕派の怨嗟の的となった感があった。言ってみれば倒幕派の恨みを一手に買い切ったような具合だ。
 会津藩お抱えとはいえ、自主的に結成された組織で、実戦で使える武力を持った勢力は京都では新選組しかない。近藤は、百名を超える武装した人間を動かせる力を持った重要かつ希有な存在であった。
 しかし、それをそのまま伊東が近藤になりかわって局長の席に座ったとしても、「倒幕」の二文字を口にすれば現在とおなじ数だけの人員がそろうのかというのは、また疑問だった。倒幕を是とするならば、家訓にあるように徳川将軍に一心大切に忠勤を存すべく難事にあたっている会津と切れることになり、新選組にとっての経済的、政治的基盤を失うことになるのだ。
 伊東が紐付きではないとするならば、はたしてそこまで踏み切ったことを行えるのかどうかということが斎藤には読み切れなかった。だが、近藤にしろ土方にしろ、いくら藤堂の渡りがあるからとはいえ、伊東の人物を内偵していないはずはなく、近藤がここまで手放しで歓迎するのをみても、伊東の決定的な「裏」は出てこなかったのだろう。
 しかし、伊東の真意はわからぬまでも、斎藤から見ても今後伊東の足の裏は新選組の敷地だけに付くとはかぎらないように思えた。伊東の「裏」が出ようが出まいが、これは新選組の三番組長の職にありながら会津の間者を兼ねている斎藤の直感だった。
 「勤王」という言葉をひとつとっても、おなじ音で発せられるにもかかわらず、近藤と伊東とでは重さも意味もまるでちがったふうに聞こえる。それが伊東というなじみのない男の口から出ると、まったく新鮮に感じる。
 たとえるならば、以前質草に入れた紋付をようやく出して着てみたときのように、伊東は、あまりにも新選組にはそぐわなかった。正装であるはずなのに、ましてや自分のものであったはずなのに違和感がある、といった感じだった。
 ただ言えることは、近藤にしろ土方にしろ、藤堂の周旋がなければ伊東の加入を認めなかっただろうということだった。それほどまでに試衛館での年月は、近藤にとって重みがあるという証左でもあった。
 あいさつを終えた伊東のまわりには、すでに何人かの隊士たちが集まっていた。かれらの初対面の不躾なふるまいにも嫌な顔ひとつせず、伊東は始終気さくに応じており、藤堂がまるで通辞のように隊士たちとの橋渡しをにこにこしながらやっている。
 近藤は好ましげな顔をしていたが、土方は表情を変えぬまま黙礼のみで伊東の脇を通りすぎた。
 どうやら一波乱あるかもしれぬ……。
 斎藤はゆっくりと組んでいた腕をほどいた。






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